空太のそら言

隠れオタクのぐうたら

乗り越えれるべきと言う解釈

衝動的に夕方送ったメールが、自分でもきっと後で読んだときにわけが分からないよ状態になりそうだったので補足。
アノヒトの彼女さんもほぼ同じ職場で働いています。
んで、今日たまたま顔を合わせたときに、近々ある結婚式の話になって、生々しい話いくら包む?というネタに。
そこで、彼女さんが「私は○万円で」と言った後に、「うちのは○万円だって言ってた」と付け加えられたのです。
それを聞いてから、上手く会話ができなくなって、早々にその場を離れてしまった。それこそ逃げるように。


うちの、か。
まだ結婚してないのに、もうそんな風に言うのか。ま、両親へのご挨拶は済んだと言っていたので、そんなものか。
うちの、か。
なかなか攻撃力の高い言葉だ。

アノヒトは自分から彼女の話をすることはまずなく、彼女さんは聞いてもないけどアノヒトのことを話そうとする。性格もあるんだろうけど、年齢的にもう子供が産めるギリギリの方だし、絶対逃したくないという気持ちと、長い付き合いに決着がつけられそうなことからくる喜びとが溢れて、「うちの」という表現になっているんだろう。
ああ、こんな分析するなんて、私はなんて嫌な奴なんだ。


一言から受けた嫉妬みたいな物や寂しさや、そう感じる自分への嫌悪やら、いろんな物がごちゃまぜになってドロドロしてる。このドロドロをバネに、モチベーションを保つ。
絶対仕事で負けない。負けたくない。いつかアノヒトをギャフンと言わせて(古)、認めさせてやるんだ。