空太のそら言

隠れオタクのぐうたら

そこには、当たり前があったのだ

ボランティアといったって、特別何が出来ると言うわけでもないし、大体自分の仕事を全うするのが最大の復興支援だと考えているので、ただ、本当にただ見に行った。
時間があればずっと下道を走って行きたかったんだけど、さすがに明日仕事があると思うと、ほとんど通り過ぎる程度にしか見ることが出来なかった。


行ったのは、大船渡港と陸前高田市沿岸部。
あまりの状況に、声も出なかった。
瓦礫は寄せられていたものの、まだそこに大量に残っている。
小枝のようにもぎ取れ横たわる電柱。
ねじれた軽自動車。
固焼きそばみたいにからまる鉄筋。
金属はどれも赤く錆び付いている。
水が引くときの力で海側に強く引っ張られた街路樹。
山に生える木も、裾野の方のものは錆びたように赤く枯れている。
ああ、そうか。
そこまで浸ったのか。


車でゆっくり走る。何もない更地を。
所々めくれたアスファルトに揺られながら、交差点だったところを横切る。ああ、信号機がない。そういえば、一つも見当たらない。
陸前高田の街には、駅があって、郵便局や博物館があって、大きなスーパーがあって、確かに街だったはずだ。
それが今では何も、なくなっている。
ここに何が在ったのだ。
ここには、何かが在ったのではないのか。
当たり前と言う名のなにかが、存在していたんじゃ、なないのか。



車から降りる勇気がなかった。ただ、通り過ぎることしかできなかった。
小高い丘を抜けたところで、さっきの大きなスーパー(マイヤだ)がプレハブでお店を出していた。
駐車場はほとんど埋まっている。
中に入り、買い物をする。
多くの女性が食料を買い求めていた。人が、生活している。
失われた当たり前の生活。簡単には手に入らないけど、少しずつ、取り戻そうとしている。




岩手でお世話になった人たちは(店員さんとかだが)、思いっきりの笑顔と元気で迎えてくれた。
強くはためく、「頑張ろう岩手」ののぼり。

人はとても弱い。
でも強く、生きている。










黙祷してる場合じゃない。一歩でも前へ、進む。それが過去と現在と未来の人々のためになるはず。


だから明日から、もう一歩、強く生きる。