空太のそら言

隠れオタクのぐうたら

現在の自己紹介

こんばんは、今日張り切りすぎて膝を痛めた空太です。
歩き方が変みたいで、右側だけ痛いよ!仕事頑張ったからね!嘘あんまり頑張れなかったです!いや頑張ったつもりだけど結果が伴わなかったです!
25000歩はしんどいよ、うん。もっと効率よくいこうぜ。

近況報告その1
じゅん君からのメール、返信したらそれきり返ってこない件

じゅん君からの内容は、今度のフットサル行きますか?だったので、行けません仕事です><と送ったわけだ。
そりゃ進展無いわな、こっちも質問の一つでも織り交ぜないと。
まぁ特別な感情はないので(なくなったんかい!!)、この辺は淡々といきます。



近況報告その2
世界の真理に触れたいと思う内に興味がなくなってきた件

じゅん君への興味ね。無いんだよねぇ。
ちょっと前なら「メール送ろうかなぁ」とかうだうだ言いながらも送らないなんてヘタレだっただろうが、今では執着ほぼ無し。
飽きやすいのもあるけど、今はそれどころじゃないと言うのが正しいだろう。刺激が多い。
何でも誰でも、得意なこと苦手なこと、ある。論述に長けていたり、数学の閃きがあったり。
だから世の中、恋愛至上主義の人がいれば真理至上主義の人もいる。何に夢中になれるかの違いだろう。
只残念なのは、子孫を残すというテーゼでみると、後者の方が不利なことか。
ということは、人類は次第に恋愛至上主義に集約されていくのか?


近況報告その3
人類の(あるいは文明の)進化は快楽と堕落によってもたらされたのなら、人間最後どうなっちゃうのか疑問な件(考える葦的見解)

人間も動物ですから、生殖活動してなんぼなとこがあると考えてる。本能だからね。
しかしそれだけじゃなく、割と高性能な脳という器官をゲットしたばかりに、とにかく楽できないか楽できないかと研究を重ねてきた。
えーでもそうすると、今後人間はどうなっていくんだろう。
ンギモヂィィィ!!+溶けきったような怠惰な生活?
しかし人間は考える葦ですから、そんな生活を望むだろうか?
待て、そもそも考える葦的要素は、先天性のものか?例えば完全に文化文明から切り離された世界に生まれた人間は、こうして同じように考えるだろうか?
考えるためには言葉が必要か?言葉が必要なら、葦的要素は後天的なものになる。あぁまだ結論は早いな、言葉によって補完されるという可能性もある。
ちょっと考えが及ばんな。勉強不足だ。
まぁあれだ、快楽主義者を悩ませる「快楽の椅子」みたいなもんだ。


近況報告その4
死ぬって事は不安だが、誰にでもくると気付くと少し楽。あ、やっぱ怖い件

でもそこから生まれるエネルギーが凄い。
久しぶりにまじめに考えて諸刃の剣をくらった気分。ぐはー。
この不安を受け入れられたとき、私の第三次性徴はおわる、そんな予感。




こんなとこです。
最近頭のリミッターはずれ気味で、考えること大杉。閃きも多め。いいことか?