空太のそら言

隠れオタクのぐうたら

優しさは愛おしい、けど

最近午前3時に退勤なんてことが当たり前になりつつあって、「今日は23時に帰れる!早い!」なんて小さな幸せを見つけられるようになっております。
んで、その午前様になるときは大概、アノヒトと一緒に仕事をしています。アノヒトは完全夜行型。だからよる遅くても平気らしい。逆に私は日中型、一日8時間は寝ないと大変厳しく、22時は寝たい。だから午前3時なんて時間に会社を出るなんて本当はあり得ない。
アノヒトはそれを知っていて、ひどく心配をしてくれる。「気をつけて帰れよ」「体調崩すなよ」「無理するなよ」…
そういう声を掛けられる度に、柔らかな木綿に包まれるみたいで、暖かくてそわそわしてしまう。
優しくされると甘えたくなる。でも甘えることができなくて、あと一歩の距離を踏み込めずにいる。それが苦しい。だから優しさは苦しい。
甘えは依存だ。彼に依存していいのは、彼女だけだ。依存は悪だ、なぜならやがて依存する対象はいなくなり、手を離された途端に孤独になる。なら最初から依存しなければいい。知らなければいい。
だから私は、上手に人に甘えることができない。自分でも分かってるんだよ。でも、どうしても、できないんだ。
多分、家庭環境に原因がある。私は多くの兄弟の長子として生まれ、常に母のように兄弟の面倒を見てきた。私が母を独り占めするなんて、そんなことなかった。だから甘え方が分からないんだと思っている。



アノヒトの優しさに触れるにつけ、この人を大切にしたいと切なく思う。
でも、アノヒトには彼女がいる。多分一生沿い遂げるんだろう。だから私は、アノヒトの仕事上の生涯のパートナーとして生きることを決めた。
大切で、愛おしくて、触れ合いたいと欲望が首をもたげるけれど、私にその資格はない。
だから愛おしく思ったときは、その気持ちをモチベーションにして自分に鞭を入れる。
そうやって気持ちの軋轢を見えないようにする。
それでいい、それしかないと言い聞かせる。



こういう心の中のもやもやを整理して、アノヒトに聞いてほしいと考えている。でもそれはエゴだから言うべきじゃないとも思っている。
ここでも二つの感情に挟まれて、無駄に脳味噌の容量をつかってしまう。そして誰にも言うことなく、やがて私は身動きがとれなくなる。
どうしようもないな、自分。