空太のそら言

隠れオタクのぐうたら

帝王切開後の入院であったら便利だったもの

出産に向けて荷物の準備は進めていたので、本当になくて困る、というものはほとんどなかったのですが、これがあってよかった/よかっただろうな、と言うものはこれです。

 

■ペットボトルストロー

これ、どの記事・ブログにも書いてあるので、騙されたと思って買っておいてください。

陣痛中だけ使うのかなと思っていたのですが、帝王切開の場合手術後も寝たきりになるし、しばらく起き上がるのも決死の覚悟が必要なぐらい痛いので、出産後も使うことに。

ストローを入れ替えて使えるものの場合、ストローの予備もあるといいです。

 

■S字フック

ベッドの柵にものをかけるのに便利。私は持ってこなかったのでそれなりに不便でした。

ゴミ袋をかけたりティッシュをひっかけたりしたかった。

無印のフック付きポーチを持って行っていたのでこれにかなり助けられましたのでこれでもいいかも。

 

■延長コード

コンセントが遠い場合の携帯充電に。

 

■ 風呂敷

部屋にシャワーはついてなかったのでシャワー室まで着替えやシャンプーを入れて持って行った。たためば小さくなるし、本当に風呂敷は便利。

 

■小さいバッグ

帝王切開しても、2日後にはヨロヨロしながらでも歩き始めます。ちょっとした移動の時や買い物、NICUへの面会時などに持ち物を入れて使った。巾着袋でもいいし、それこそ風呂敷でも代用可。

 

■ウェットティッシュ

搾乳が必要だったのだがまだ絞るのが下手なので手がべたべたになる。母乳って乾くとぺたっとするんだね…。持ってこなかったので売店まで買いに行った。

とりあえずポケットタイプのものをカバンに入れておけば助かると思います。

 

■書類入れ

クリアファイルを3つぐらい用意しておけばよかった。ものすごい書類の量が毎日次々とたまっていく。

しかもそれなりに大切なものから確認して終わりのものまで様々。

大切なものだけ持ち帰ればいいのかもしれないが、とりあえず退院するまでは念の為持っておきたい。要提出、後日確認、確認後廃棄ぐらいで3つあるとよかった。

更に付箋紙があるとなお良かったな。

 

 

逆に用意したのに全然使わなかったのは、

汗ふきシートと産褥パッド。

汗ふきシートは、お風呂にしばらく入れない入れない(経膣分娩でも)と聞いていたので持ってきてみたが、そもそもお風呂に入れないっていうのはそれぐらい体がボロボロ状態ということで、とても自分で体を拭くなんてことできなかった。

帝王切開だとそもそも起き上がれないし、傷が痛くて屈むことどころか座っていることも無理だった。しかも体は看護師さんが拭いてくれた。

せっかく持ってきたから顔でも拭くかと使ってみたけど、肌質が変わったからか痒くなってしまったし。

 

産褥パッドはそもそも病院で貰える入院セットに入っていたので不要。病院によっては、夜用ナプキン持ってきてくださいと言われるかもしれないので、言われたら1パック用意しておけばいいと思う。

 

 

あと個人的によかったなと思うのは、バスタオルにリネンのタオルを用意しておいたこと。かさばらないしあっという間に乾くし、めちゃくちゃ便利だった。

シャワーで体を洗うタオルも、赤ちゃん用のガーゼタオルの大きめのものを持ち込んで使った。使ったあとベッドの柵にかけておけば翌日にはパリパリに乾いている。素晴らしい。

 

陣痛からの緊急搬送からの緊急帝王切開

色んなことがありましたが、先日何とか子供を出産しました。 多くの人に助けていただいたいのちでした。

まだ母子ともに病院にいますが、記憶のあるうちに書き留めていきたいと思います。

 

結論から言うとタイトル通りで、陣痛が来てから母体の症状が悪化し、総合病院に緊急搬送された後に緊急帝王切開とあいなったのでした。

 

 

■出産数日前

前駆陣痛らしい痛みが10分間隔前後できていて、眠れない程度には痛かったので通っていた産婦人科に2度ほど行っていた。

陣痛の痛みがまだ弱かったため、2回目行った後に帰る時も「陣痛間隔が5分を切って1時間経ったら連絡してくださいね」と言われていた。

 

ちなみに私の場合、前駆陣痛だってもう普通に痛くて、どれぐらいかっていうと会話できないから波が過ぎるまで黙って縮こまって耐え忍ぶ程度には痛かった。しかも夜もずっと10~20分間隔だったのでろくに眠れない。食事中も構わず来るので食べる量も減っていき、臨月なのに体重も減っていた。しかし不思議なもので、痛みの波の間は普通に会話もできるのだ。

ちなみに週数は38週。胎児の推定体重も3000gを超え、もう出産を待つばかりであった。

 

 

■出産前日

相変わらず痛くて、朝はヨーグルト、昼は少しのうどんを食べるのみ。昼寝を何とか40分ぐらいしたあとから本格的に痛みが強くなっていった。具体的には、前駆陣痛の時には下腹部(かつて子宮が収まっていただろう場所)が収縮する痛みが約40秒続いていたものが、昼過ぎからはそれの範囲が広がり、加えて腰痛、おしりに向かって大きな何かで圧迫される痛みがあわさり、痛みの継続時間も1分半ぐらいと長くなった。

しかし陣痛間隔はまだ10分程度だったので、病院に連絡するのははばかられる。早めに連絡してもどうせどの場所で痛みに耐えるかだけの違いだと思い、ずっと耐えていた。

夜20時台には「今夜もこの痛みに耐えるのか」と絶望的な気持ちになっていた。

出産は怖いがどうせいつかは痛い、ならもうさっさと産んでしまいたい、と半ばなげやりになり、お産に効く動きを調べて家の中でうろうろやっていた。その時には陣痛間隔が3分台になり、いよいよか!?とも思ったが、念の為安静にしても間隔が遠のかないか調べようと、22時台には横になってみるが、やはりまた間隔が7~8分になってしまう。

23時台には陣痛カウンターで測りながら、早く5分間隔になって欲しいと祈り続ける。3回に1回ぐらい強烈に痛いのが来て、横で動画を見ている主人に助けてとすがりつく。何度ももう病院に電話してみようかとも思うが、早く行ったから楽になるものでもないと思いとどまる。

 

 

■出産当日

日付が変わって深夜0時30分頃、ものすごい痛い波が来て、もうこれ以上は限界だと思い、主人に「もう電話する、病院いく」と宣言。架電。

状態を聞かれ、「では気をつけて来てくださいね」と言ってもらえ、念の為産褥パンツにはきかえパッドもあてて、準備してあった入院セットを持って陣痛の痛みの波のあいだを縫って産婦人科へ送って貰う。そのときにはパジャマから着替える余裕すら無くなっていた。

 

陣痛室へ通され、入院服に着替え病院のベッドで横になる。いつものNST取り付け、検温、血圧測定。このとき確か体温は36.6度と言っていた。血圧についても何も言われなかったので、ここ最近の130/100あたりの数値だったと思われる。

ここからの時間はあまり覚えていない。

 

恐らく病院についてから1時間ぐらいは5分間隔に縮まった痛みに耐えていた。内診でも子宮口が2cmまで開いてきて、薄く柔らかくなっているのでお産が近づいてますよと助産師さんが勇気づけてくれていた。ちなみにこの時の助産師さん(Kさん)はすごく前向きで、2cmしか開いていないことに絶望する私に「進んでるんだからすごいじゃん!」と声掛けしてくれる人で、勇気づけられる。そして最終的に救急車に同乗してもらう人ともなる。

 

■2時30分頃

助産師Kさんからは、「全身が震えるような痛みやいきみたいかんじが来たらナースコールで呼んでくださいね」と言われていた。

数回に一度来る大きな波に耐え続けていたが、この時間あたりに本当に痛いのが時々来てて、「痛い」と声に出さざるを得ず、しかしそうすると呼吸が乱れてしまう。陣痛の合間に、「もし私が呼吸できてなかったら、深呼吸してって言ってね」と主人に息も絶え絶えお願いしていた(しかし今考えれば聞こえていたか分からない。私の背中側で添い寝していた彼は、恐らくスマホでイヤホン差しながら動画を見ていた)。

そんなフラグを立てたすぐ後、歯がカタカタと鳴り出してしまう。あれ、歯が合わなくなってきちゃったと思っているうちに全身が痙攣したかのように一気に震えだし、呼吸も恐怖で全速力で走った後みたいな浅く早い呼吸しかできなくなる。意識はあって深呼吸しなければと思うのだが全く体が言うことを聞かない。

と、とまらない、と言いながら止まることを祈りながらブルブルガタガタ震えていたが、全くその気配がないため、主人に「呼んで、呼んで」とナースコールを頼む。駆けつけてくれたKさんに、「とまらなくて、助けて」と過呼吸のような状態の間に懇願する。

この時、私は過呼吸を疑ってもいた。

もうその後はパニックで、NSTをつけたりハンカチ口に当てたり応援の助産師さんきたりしたがだめ。

応援の助産師さんに両頬を手で包まれながら「ゆっくり息吐いて」と言われるが、それが出来ない。震えが止まらない。ハンカチ鼻にあててみてもだめ(過呼吸ではない)。

陣痛の痛みの自覚はもうなく、時々強烈に腰が痛いだけ。

恐らく10分ぐらいで院長先生が来てくれて、これで助かる、と思ったのだが、「寒い?暑い?」「痛みは?」と聞かれ、内診を受ける。モニターもみて、検温、血圧みて、抗生物質の点滴開始(もともとブドウ糖の点滴は差しっぱなしになっていたのでそこに繋いだ)。

その時の周りの会話や状況から推察するに、血圧150超え、体温38度台、お腹は強烈に張りっぱなし、胎児の心拍は200越え(通常150程度)になっていたようだ。

院長先生からは、「救急車で総合病院に行きます、恐らくなにかの感染症だと思いますが、詳しく調べてもらいましょう」と手配してもらう。内心、人生で初めての救急車にまじかと思いつつここでは対処出来ないのかと絶望する。

緊急搬送が決まってからは早く、震える状態のまま何とか車椅子に乗り2階にあった陣痛室からエレベーターで1階に降ろしてもらう。

救急車の到着をまつ間に、ふっと呼吸が楽になり、震えも静かに収まっていった。

転院の手続きをしてくれた先生も「抗生物質が効いたのかもしれないね、少しよくなったね」「毛布かけてあげて」「忘れ物ない?(助産師さんに向かって)」と声をかけてくれたり、応援助産師さんは「頑張って産んでくるんだよ」とお母さんみたいに励ましてくれたり、プロたちが心配してくれている。

私の隣では主人がそっと肩を撫でてくれて無理やり笑おうとしてるし全て現実味がない数分だった。

程なくして救急車が到着し、ストレッチャーに移動して30分ぐらい先の総合病院へ向かう(この時もどこの病院なのかあまりわかっていなかった)。

救急車には助産師Kさんが、転院のための紹介状や母子手帳、諸々書類、そして胎児の心音をきくものを持ち込んでいた。出発前、応援の助産師さんに何度も「心音聞いていってね」とKさんは指示されていたので、乗り込むと早速準備を始める。

同時に救急隊の方が私の血圧、指先につけるクリップ(多分酸素の供給量をはかるやつ)、心拍確認用のパッド?などをあてて、症状などを聞かれる。意識はあるが体が熱くて朦朧としながら答えていた。救急車の中で体温39度を超えた。

心配だったのは、助産師Kさんが一生懸命スピーカーで心音を探していることだった。救急車なのでサイレンを鳴らしながら走っている。当然車内にもその音は鳴り響いているわけで、それで聞き取りにくいんだと思う一方、胎児の状態について何も言われないし、いつの間にか陣痛がほぼ無くなっていたし、何より胎動が分からなくなっていたので、もしかしたら赤ちゃんダメなのかもしれない、それを今言うとショックを受けるから、赤ちゃんのこと何も言わないのかもしれないと思っていた。

何分か走りながら、定期的に血圧も測る。日頃の血圧はどれぐらいですか?と救急隊員さんに聞かれ、妊娠中は130台、非妊娠時は100台と伝えると、「今ちょっと低いね」と言われる。いつもぐらいにさがっていたのかもしれない。

前駆陣痛のような痛みが少しだけきて、その後に少し胎動を感じたような気がしてお腹をさすると、助産師Kさんが再びスピーカーで胎児の心音を確認すると、ドッドッドッと早い心音が聞こえた。大丈夫だ、まだ生きてる大丈夫、そう思えた。

 

深夜3時から4時ぐらいに救急車で移動したと思うのだが、たかだか30分ぐらいの距離がとても長く感じた。

移動中、後ろからついてくる主人の車のライトがずっと見えていた。

 

 

■4時ごろ

急患を受け入れる総合病院に到着。ストレッチャーこど搬送され、すぐに各種検査に入った。ここでも心電図、血圧、採血、検温、レントゲン(他にもしたかもしれないが忘れた)、そして階を上がって分娩室に行き、内診、NST、エコーなどすませる。

もう痙攣のような体の震えは治まっている。胎児の心拍の音が聞こえているのをただただ安心して聞いていた。

かかっていた病院では、院長先生から「お腹の張りが強すぎるから胎盤が剥離してしまうかもしれない、そうすると母体も胎児も危ないので、帝王切開になるかもしれない」と言われたのを思い出し、赤ちゃんも私も助かるなら何でもしてくれというきもちだった。

 

検査結果を待つ中、主人が陣痛室に案内されて横の椅子に腰掛けた。泣きそうなのに少しだけ笑って「大丈夫だよ」と言う。もちろん私も子供も大丈夫なので、「大丈夫だよ、がんばるよ」と答える。

さて、産婦人科の先生が戻ってきて、結論として緊急帝王切開となった。

胎児は今は大丈夫だが非常に心拍数が高い(180程度)、羊水が感染症にかかっているためそう長くいさせたくはない、子宮口の開きが3.5cmでまだまだ時間がかかる、へその緒が首に巻きついていて経膣分娩でもスルッとはいかないというのが理由。もう十分です。

私としても、さっきの謎の痙攣が起きても怖いので、主人と顔を合わせてお願いしますと返事をする。

 

そこからは怒涛の書類手続き。転院してきたので今まで通っていた産婦人科でしてきた書類に似たやつをもう一度確認、記入。しかも帝王切開についてとか麻酔についてとか、あと母体と胎児両方について書くものもある。

実際それらはほとんど主人がやってくれていたのだが(私は分娩台で時折来る陣痛に耐えていた)、時刻が時刻だけに全く頭が回っていなかったとのこと。

ちなみにこの時間帯で、両家の親には手術になったことを主人から伝えてもらった。

 

■5時台

他の患者さんが出血したとの連絡が入ったり、手配諸々もあって若干の待ち時間があったものの、出産時間から逆算すると5時台にはオペ室に入っていったと思う。 

陣痛の隙間を縫って分娩台から車椅子へ移動し、押してもらいながら廊下を進む。左後ろに主人がついてきてくれる。手術中、彼はNICUの前の待合室で待機しているのだそう。

オペ室の扉の前までついてきてくれて、「じゃ後で」と挨拶したら彼も「じゃね」と返事してくれる。

今考えればお腹切るなんて怖いことだが、この時はとにかく早く子供を出してあげたい、そして私もこの痛みから開放されたいという一心だった。

 

オペ室に入る前に青色の帽子を被せてもらい、髪の毛を中にしまわれる。

扉を何枚か進む毎に、先生らしき人や助手っぽい人がいるので、「お願いします」と挨拶しながら進んでいく。全然現実味がない。 

オペ室に入ると、意外と物が多く、有機的な空間だった。ドラマによくある音楽もかかっている(手術中に聞いたが、前の先生が帝王切開する時用にセレクトしたらしかった。王道JPOP)。

オペ室の真ん中に据えられた台の上に自らよじ登ってからは早かった。

あっという間に全裸にされ、暖かい毛布をかけられ、横向きになるよう指示を受ける。

まず背中に麻酔を打つ。結構痛いという噂は聞いていたし、横向きに寝ている私の体を、動かないようにさり気なく助手っぽい人が押さえている(ちなみにメガネがないのでもうよく見えてはいない)。後ろで先生が消毒か何かされた後に「じゃあいきますね」と宣言される。痛いのかなーとぼんやり考えていたが、ぷすっときたものはあまり痛くない。何回か刺されたようだが、あれ?こんなもんかなで終わった。正直陣痛中の腰骨の痛みのほうが比べられないぐらい痛い。

すぐに下半身にしびれがきて、そうこうしているうちに仰向けにされる。冷たいコットンをあてたり足を動かせるか確認されたりして麻酔の効き具合を確認後、いよいよオペ開始。

下半身麻酔だったので意識はあるししゃべれるのだが、メスで切るんじゃなくて多分焼き切ってるからか、肉の焼ける匂いが漂っていたり、NICUの先生もいたので部屋には7~8人の人々がいて、みんなで何か喋ってるから結構がちゃがちゃしてたりというところが印象的だった。

 

ああ、はやく助けてあげてくださいと思っているうちに、「もうすぐですよ、膜を切ったら出てきますよ」と言われる。えっもう?というぐらい早い。

何時か聞いたら6時12分だと言っていた。6月の6時はもう随分明るい。ああ、朝なんだなーと考えていたら、お腹をグッと押されて、「おめでとうございます!」と言われた。お腹がふっと軽くなり、上半身にかけられた幕の上からこどもの頭と髪の毛が見えた。その瞬間からもう涙がとめどなく溢れた。

しかし、ドラマによくある鳴き声が聞こえない。NICUの先生たちがすぐに蘇生に入ってくれたようだ。後で聞いたのだが、濁った羊水を飲み込んでしまったので、人工呼吸のような方法でそれを吐き出させ、蘇生させたとのこと。ちょっとしてから、か弱い鳴き声、そのあとすぐに大声が聞こえてきて、私もしゃくり上げてしまった。

その間私の処置も進んでいる。ポンプで水を吸い出すような音がしばらく続きつつ、「濁ってるな」の声も聞こえた。

子供は恐らく様々な処置をしてもらった後に、私の顔の横まで連れてきてもらい、記念撮影をしてくれた。初めて触ったのは頭。ふかふかで柔らかく、とても暖かかった。

 

実は手術の途中からまた歯がカタカタしだして、少しずつ手も震えてきていた。まだあの震えが来たらどうしようと思い、横で見てくれている人に緊急搬送された経緯を話すと、その人は執刀している先生に相談してくれ、意識がボーッとするものを点滴に入れますね、と言って準備してくれた。睡眠薬的なものかなーと思っているうちに、気づいたらほぼ手術は終了になっていたようで、もはや曖昧だがオペ室を出てベッドのまま病棟の個室に移された。そこには夫が待っていて、頑張ったね、と言ってくれた。頑張ったのは子供と先生たちだよ、と返した。

 

 

時計は見てないが、夫とそこで二人きりになったのが恐らく7時か8時台だろう。

 

 

 

 

そんな感じで大波乱の出産となった。

妊娠期間中は本当に何もかも順調で、このまま陣痛に耐えて出産するんだろうなと思っていたが、まさかこんな展開になるとは思わなかった。

いまは、病院のベッドで、その大波乱だった手術の傷跡の痛みも引いてきたところだ。この文章を作りながらずっと泣いている。ホルモンバランスが乱れているようだ。

術後の痛みとか不便な生活とか、子供のこととかまあいろいろありますが、それはまた気が向いたら。

 

 

振り返れば、多くの人に助けられた命でした。本当にありがたいことです。

 

陣痛の傷みを測っていた時、もしあのまま5分間隔になるまで家にいたら、きっと家で痙攣を始めていたでしょう。そうなったらどうなっていたか。

お腹が痛くなって病院に行ったものの出産に至らないことが何度あったとしても、これは我慢できないなって時は病院に連絡した方がいいです。私は病院にいたから、適切に抗生物質を入れてもらい、救急搬送してもらうことができました。

 

また、妊娠中は不安なことや変化だらけですが、安易にネットの情報で安心しない方がいいとも思いました。

どこのタイミングだったか、恐らく手術が終わってエレベーターでベッドごと運んでもらってる時か、緊急で搬送されて分娩台に行くまでのところか、もう覚えてはいないのですが、先生から「オリモノ多かったとかありましたか?分かんないか…」と独り言のように聞かれました。確かにオリモノは多かった、でも初産婦だったし調べたらオリモノは多くなりますと書いてあるしで分からなかったので、どうでしょう、と返事をした覚えはあります。あとカンジタに罹っていたのでそれを伝えたところ、「カンジタ…うーん…」と言っていました。

妊婦、おりものとかで調べると山のように増えて当然という情報が出てくるのですが、増え方だって内容だって人によって全然違うはず。でも人間は、良さそうな情報を集めて「まぁ大丈夫だろう」と現状から悪くなることを想像しない生き物。今思えば、オリモノ多いなってのをかかりつけの産婦人科で相談すればよかったです。心配なんです、と言えば検査してくれたでしょう。もしかしたらそこで何かわかったのかもしれない。

不安なことは不安だって、言えばいいんだと思うんです。今回はそれをとても感じました。

 

1人の病室にて、しみじみとした夜に。

 

 

 

190618追記

母体の1週間検診があり、その際胎盤の検査結果を教えてもらった。

絨毛膜羊膜炎だったもよう。英語でchrioamnionitis and infaerction,placenta.

胎盤が緑色に変色し、剥離もあったとのこと。危なかったです、帝王切開してよかったです、と言われる。

なにか予防できたことがあるか聞いたが、不衛生な温泉に行かないぐらいで、日常生活では通常の衛生管理をするしかないと言われた。

本当に子供が無事でよかった。早めに大きく育ってくれて、正期産まで待ってくれてよかった。

陣痛だと思ったら前駆陣痛だった話

妊娠38週。お腹の痛みが10分感覚になったので病院に連絡して向かった。

子宮口1cmの開き、まだ出産まで至らないだろうがこのまま入院するも良し、一旦家に帰るもよしと言われ、一旦家に帰る。

 

その後夜23時頃には陣痛の感覚が5分前後になったので再度病院に連絡し、向かう。

モニターつけるものの、張りがまだそこまで強くないので今日は産まれないかもしれないが入院しましょう、となり、1夜を病院で過ごす。

痛みは徐々に間隔が開き、痛さ自体も少しずつ弱くなっていく印象だった。

 

恐らくこの痛みは前駆陣痛だろうとのことだったが、本陣痛との見分けが大変むずかいしというのが初産婦としての感想だ。

助産師さん曰く、

・下腹部が痛いだけならまだ出産には至らない。おへその方まで痛んで張ってくるといよいよ

・陣痛間隔が5分、これを1時間ぐらい続かないと繋がらない

・破水があれば間違いがない

とのことだった。

 

前駆陣痛でもそれなりに痛いのだが、これまだまだ痛くなるんだね…。だらだら前駆陣痛が続くぐらいなら、はやく本陣痛に至って出産したい。

でもまだ出産と母になることを恐れているというのも本音で、もしかしたらお腹の子供はそれを察しているのかもしれないなぁ。

サービスの達人たち

 

サービスの達人たち (新潮文庫)

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なぜ買ったかもう忘れたが予想と違う内容であるのに大変面白く読んだ。

人にものを提供する、作る人達で、1流の人々の物語。みんな自分の中に「軸」を持っている。彼らなりの正義。それがすごく面白い。道を極めるというのはそのひとの哲学を作り上げるということだな。

こんな気骨のある人達、令和の時代にまだ残っているのだろうかな?

文章力の基本

 

文章力の基本

文章力の基本

 

 

これはよかった。

事例が具体的で、違和感を覚えるような表現が「なぜ違和感があるのか」の答えと共に書いてあり直感的。国語を習ったはずなのに、母国語ゆえ感覚で使っているのがよくわかった。

 

でも「に」と「を」、「を」と「で」なんかは曖昧に使ってしまってるな。結局、名文をいくつ読んだかどうかなんだろうな。