空太のそら言

隠れオタクのぐうたら

過去と向き合う。And I love you

昔付き合ってた人からもらった手紙を捨てるための、過去の清算の続きです。










正式に付き合うようになった私たちは、前にも増してお互いの地元へ出かけて遊ぶようになっていました。しかし、彼女はまだ学生の身分でしたので、どちらかというと、私が向こうに赴くことが多かったと思います。
特別なことをするでもなく、カラオケや映画をよく見て、プリクラなんかをとりました。二人で揃いのスケッチブックを買って、そこにはっていました。
その頃は、まるではじめて色が付いたみたいに世界が鮮やかに見えて、本当に充実した毎日を過ごしていました。
自分を飾るためにメイクに凝ったり、服を買ったり、外見にも気を遣っていました。
彼女とは全然違う世界を生きてきたので、お互いに趣味がかぶらず、それぞれ新鮮な体験だったと思います。
地味に遠距離だったので交通費はバカにならず、ボーナスはすべて交際費に消えて貯金を切り崩す生活でしたが、それでも楽しかったのです。
このままずっと一緒にいたい、と考えていました。





秋生まれの彼女の誕生日、ホテルに泊まって深夜12時ちょうどに指輪を渡しました。ちょっとしたブランドの、飾り気のない指輪でした。
喜んでくれた、と思います。仕事中は付けられませんでしたが、肌身離さず持ち歩いていました。心細くなったときには、指輪を撫でると安心しました。あえないときは、指輪越しにキスをしていました。
少し刺激が強くて、でも穏やかでした。








そんな中でも、少しずつ、不協和音が聞こえるようになっていました。
私が仕事に行くと、すごく不機嫌になり、手が着けられなくなりました。一度は、「私が大事なら仕事遅刻してでも私の側にいてよ」とすごまれ、私はその日ずるをして遅刻をしました。
そんな事したことがなかったので、今でもその時の気持ちを鮮明に覚えています。憤り、呆れ、空虚。なぜ私を試すようなことをするのか、と思いました。

彼女は、私を信用していませんでした。
私の「好き」の言葉を、心から信じてはいなかったのでしょう。だから不安で縛っておきたかったのでしょう。
そして私は、彼女が重いと感じるようになっていました。
つきあい始めた経緯が経緯でしたから、私の好意よりも彼女の好意の方がずっと深く、ふとした瞬間にその違いが浮き彫りになって気まずく思うこともありました。
思うに、私の「好き」は、彼女が欲しい重さの「好き」ではなかったのでしょう。
だから、私は信用されず、彼女の存在は重くなっていきました。


私は、何とか応えたいと思い、彼女をもっと好きにならなければ、と考えるようになりました。私さえ変われば、二人は幸せになれる、そう信じていたのです。









親密になった私たちは、世の中の恋人のご多分に漏れず、身体的にも親密になっていました。
しかし、私は彼女に体を預けることができませんでした。不感症なのか全く反応することができず、むしろ恐怖を抱いていました。なので、もっぱら、私が彼女に触れる役目で、半ば強引にアドバンテージを得ていました。
(多分、小さい頃のされたいたずらのせいで性干渉が怖いのでしょう。人は上手に生きられないものです)
しかし、彼女に「怖い」なんて言えませんでした。不安にさせて、不信感に繋がると思っていました。そんな態度も、多分彼女に不信感を持たせる原因になっていただろうに。





少しのひび割れには目をつぶり、二人は歩いてきました。

当時、二人でよくミスチルを聞いていました。
カップめんのCMで、『And I love you』が使われていて、途中で切れるその歌が、どんな結末になるのか、早くフルで聴きたいねと、よくメールし合っていました。
その歌は、別れる間際の男女の、悲しい歌でした。


久しぶりに聴いて、何とも私たちを表していた、と思いました。












私は、度胸がなく、よく逃げていました。
それでよく彼女に怒られていました。
彼女はよく異性の話をしました。
私は、それをよく怒り、不機嫌になっていました。


私はよく寝坊をして、待ち合わせに遅刻するようになっていました。
彼女はそれを呆れ、冷ややかな目で見ていました。何か言いたそうな顔をして、でも我慢しているようでした。
彼女の束縛は強くなり、私は次第に心の平静が保てなくなってきました。
私は、自分の体を傷つけるようにもなりました。










重くて、辛くて、でも「好き」と言い続けていました。
そうしないと、何かが崩れると、思っていました。
不安を口にされる前に、キスで塞いでごまかしていました。


このあたりの記憶はあまりありません。












きっかけは何だったのか。
多分、彼女が結婚をほのめかしたんだと思います。自分で結婚について考えたのかもしれません。
同性同士、世間の目もある、それでも一緒にいられるかと考え、正直、自信がありませんでした。
この頃には、二人でいても創造が無く、二人の間に空いたクレバスがぽっかりと口を開けていました。


ある日、メールで喧嘩をしたときに、「もう無理、別れたい」と切り出しました。
さんざん怒られました。そんな大事なことをメールで送るな、と言われました。何度も着信がきて、電話が怖くてたまりませんでした。
直接会って話す気力もなく、本当に逃げ出してしまいたかった。
今思えば失礼なことをしたと思います。勇気と気力を持って向かい合えなかったのは、私の弱さです。
でも、ずるくても良いから、助かりたかったんです。







一度、別れると言って、なんだかんだあってやっぱり別れませんでした。
自分の中に「好き」という小さな輝きがあったからです。
二人は再びやり直すことになったのですが、やはりそれも長くは続きませんでした。
またしても、私から「終わりにしたい」と言いました。










泣いていたのは私か、彼女か。
どんな言葉を掛け合ったのか。
私たちは、別れました。
付き合いだしてから、一年半が経っていました。











それから、二度と会うことはありませんでした。
メールのやりとりは少しの間行っていましたが、私が先にアドレスを変えたことで連絡さえも途絶えました。
私は、それで良かったと思っています。



別れた当初は、寂しくて泣いたこともありましたが、大半は、心が軽くなり、本当に平安な日々を過ごせるようになりました。
別れ際にもらった手紙は、すぐにタンスの奥底にしまい込み、忘れようとしました。忘れれば忘れるほど、心が穏やかになっていったからです。
少しずつ、身の回りの彼女の「残骸」を捨てていきました。捨てるときはひどく辛いけど、その文心は軽くなります。
でも、手紙と指輪だけは、なかなか捨てられませんでした。
もう、墓まで持って行こうかと考えるほどでした。


私は、すっかり人と付き合うのが怖くなりました。
自分の気持ちが中途半端だと、お互いに傷つくこと、別れるときには身も心もずたぼろになることを学んだからです。
世界が色あせて見えても、心の平安には変えられません。それに、もっと違う目で世界を知ることができるようになったし、恋とか無くても良いのです。
今後誰とも付き合うことがないのなら、手紙も指輪も持ち続けてもいいでしょうと、考えていたのです。




でも。
この部屋から引っ越すことになって、本当に彼女との思い出から離れることができそうなのです。
二人でドライブした、私の車も買い換えました。
携帯も買い換えました。
プリクラも捨てました。
この前はついに指輪も捨てました。
この部屋を出れば、もう彼女との接点はなくなります。

二人で添い寝をし、ご飯を食べ、笑いあい 、そして別れたこの部屋を。


ずっと縛られていたと思っていましたが、縛っていたのは自分自身です。
私は、彼女との昔話にすがり、前に進むことをしませんでした。この穏やかな環境からでたくないと、そうなったのは彼女のせいだと罪を擦り付けて、また、私が彼女をひどく傷つけたと自分を責めて、動こうとしませんでした。



もう、いいでしょう。
私が私を赦しても、いいでしょう。
申し訳ないと思うなら、いつまでもここにいるのではなく、幸せを探すために前へ進むべきです。











なんか、分かった気がします。どうして今更こんな昔話をしたくなったのか。
こんなことを吐き出して、どんなメリットがあるのかと、むしろよけいに手紙など捨てられないのではと思っていました。


今なら、片づけられる。
大丈夫。