空太のそら言

隠れオタクのぐうたら

そこには庭があった

祖父母の家には、いくつかの庭があり、いつもきれいに手入れされています。
そのなかでも特に好きなのは、母屋と祖父の家に挟まれた中庭です。
そこには、立派な梅が植えられていて、季節になるとささやかな花を咲かせるのです。うぐいすがとまってぎこちなく鳴く様子を、春の気配を感じる日を浴びながら縁側でまどろむのが、本当に大好きでした。
小学生の頃からよく見る夢がありました。
遠足に行きます。5人一組ほどの班になって、出発します。出発地はいつも違う場所です。歩いているうちに、仲間がバラバラになり、一人で知らない場所を迷います。でも、いつの間にか、見慣れた景色が見えてきて、私は、大好きな中庭にたどり着くのです。包まれるような安堵感の中で、夢から醒める。いつでも、ゴールはあの中庭でした。



通夜の前、中庭に面した部屋の真ん中で、祖父は静かに眠っていました。
敷布団は、盆や正月に私たち家族が里帰りした時に、父が使っていたものでした。
本当に、眠っているようでした。

葬儀屋さんが来て、準備をしてくれました。お湯をかけて、髪を洗って、体を拭いて、白装束を着せられました。
髪を洗っているとき、首を持ち上げると、まるで生きてる人のようにくにゃ、と反っていました。だのに足は、持ち上げるとバネみたいに揺れるのです。
化粧も終わって、棺に入れられました。何となく、棺に入ったのを見て、本当に死んでしまったんだ、と感じました。


そこからは早送りのように時が過ぎました。
気づくと、棺の中にはたくさんの花が入れられていて、祖父は、家族や孫たちや、多くの親戚に囲まれていました。


何年生きれたら幸せだ、とか、何年生きなければ不幸だ、とか、そんなの決まってないから、死ぬ間際に「幸せだったな」と思えればいい。

でも死ぬときに、みんなに顔を見てもらえて、髪まで洗ってもらえて、みんなに見守られて旅立てるのは、もう、死んだ後もずっと幸せだと思うのです。







火葬場に行き、線香をいれ、蓋が閉まり、台車で運ばれ、祖父は金属の扉の先に行ってしまいました。
半紙に包んだ祖母の髪も、父が「好きだったから入れさせて欲しい」とお願いした紙パックの日本酒も、一緒に、一緒に燃えてしまいました。
その時になって、祖父がこの世から居なくなると、痛いほど実感し、ぼろぼろと涙が落ちました。








一緒にラジオ体操した夏の朝。
お酒を飲むとすぐこたつでねてしまう。
少しだけ戦争の話をしてくれた。
サンルームで読書していた。
一緒に行く犬の散歩はちょっとした冒険。
ガレージは父が子供の頃に家族で作ったとか。
田舎から帰るとき、車の中から握手する手はごつごつ。
「空太くん、がんばれよ」と力強く握られた。
就職が決まったとき、「しっかり勤めなさい」と言いながら連帯保証人にサインをくれた。
「あとで板金に持って行きなさい」と、私がこすってつけた、車のバンパーの傷を、赤いペンキで塗ってくれた。
何となく塗り直せなくて、乗り換えるまでそのままにしていた。
弱ってしまい一人でたてなくなっていた。
しゃべるのもおっくうになって、病院のベッドに横になっていた。
「また来るからね」と手を差し出すと、とても病人とは思えない強さで、手を握り返してくれた。
その手は、むくんでいた。その2週間後、祖父は逝った。




あたたかな、場所だった。
春には梅が咲いて、
庭を手入れする祖父が居て。
祖父の作ってくれた、庭。
私たちは、そこに見守られていた。


大事な思い出が、うろこのようにはがれおちていく。




今日お風呂に入って、ようやく人目を気にせず泣くことが出来ました。
今も、涙が止まりません。



おじいちゃん、さみしいよ。でもがんばって勤めるよ。
だからそっちで見守っていてね。