空太のそら言

隠れオタクのぐうたら

Twitterについて悶々と

millstonesさんがTwitterでつぶやいているので、どんな人物かとニヤニヤしながら1ヶ月分ぐらい読んでみた。変態です。
これまでTwitterには全く興味が湧かず、あまり真剣に読んだり見たりしたことがなかったのだけど、今回じっくりと読んでみると、じっくり読めないということが分かった。
連続した意識の中から切り取られた文字列だけでは、全体を俯瞰で見ることができない。私にはできなかった。
独り言も、隣で聞いていればどうしてそう呟いたのか分かるもんだが、それはその人の動作も同時に見ることができるからだろう。
人間に目が二つあるように、情報も二つ以上ないと立体的に出来ない。
そんなわけで残念ながら人となりについてはあまり分からなかった。想像するところは色々あるけど、それは心の中にとどめて楽しむ物だと思うので(ええ変態です)、あとは純粋なファンとして支援していこうと思う。
ただただ、焦らず自分が好きな曲を作ってほしい。声援がプレッシャーとなりませんよう。





で、ここからはTwitterについてちょっと考えてみたことをだらだらと。

思考のまとめ方について、
・考えてるだけでは忘れてしまうので、何かの文字にして残しておくべき
・手書きでもデータでも良いと思う。音声で残すのはやったことがないけどあんまりよくない気がする
・一番良いのは手書きで紙。白紙で大きい方がなお良い
・動作が出力と連動してるとズルズル出てくる
・データの中でもPCはまだ良い。ただキーボードで入力するのは、出力したものと関連性がないのでその点はブレーキになってしまう
・ただ、とにかく文字の出力スピードはすばらしい。
・紙にペンで図解の方が早いけど
・PCはしかしお手軽でない
・そこで現れたのが携帯であり、勝手にお纏めしてくれるブログという存在
・メールをちょちょっと作れば、それで記事が出来てしまう。この気軽さはすごい
・しかし手軽さの対価に、連綿とした思考する力を失ってしまった
・こんな風に短い文章を書くことしかできない
・画面が小さいのでぶつギレになっちゃうってのもある


ということで私は、気軽にちょっと思考を纏めたり、備忘録としてブログを落書き帳のように使い、グツグツと考え尽くしたものは紙に手書きで残すようにしている。
そんな人間から見たTwitterってのは、ブログが更に気楽に軽く使えるようになっていて、これどうやって使うんだろうと思う。
制約条件に文字数制限が明確に打ち出されているし。これでますます思考がちぎられてしまうのでは。
そこで呟かれている言葉たちは、未来の自分が見たときにまた組み立てることが出来るのだろうか。それが出来ないのなら、それはもう本当にただの呟きで、くちから漏れた瞬間に消えていっているのではないか。
それはそして、すごく怖いことではないか。




文字制限があるものですぐ思い出すのは俳句。17文字というドM設定であれこれ作り上げる。
もしかしてTwitterは俳句的に使えるのではと一瞬考えたが、消費スピード早すぎるし、俳句をそこで呟こうとすると、気軽さという最大の武器が殺されてしまう気がしてすぐ萎えた。


そんなことをぐるぐる考えて、やっぱり私には不向きだと今のところ結論づける。食わず嫌いですかね。
でも、使い方って、自分の行動の実況かチャット的交流ぐらいしか分からない。
前者はそれこそ流れる時の中で無意味になるし、後者は何度も経験と失敗を重ねたトラウマから食指が動かない。なんというネットひきこもりw
ブログで十分です、はい。