空太のそら言

隠れオタクのぐうたら

上の子(3歳半)による胎内記憶、新生児記憶の話

言葉が上達した上の子(3歳半)が、この間仕上げ磨きしている時にふいに、「ぼく病院でお母さん待ってたんだよ」と言い出した。

一人で病院で待つということはいままでなかったので、これはNICUにいた時の話かと思い立った。

というのも、以前にもお風呂で似たような話を急にし始めたことがあったからだ。

興味があるので会話を続けてみた。

 

病院でまってたの?一人で?

「うん」

どんなところで待ってたの?

「えーとね、お部屋」

(恐らく保育器のことであろう)

「お母さん来たら、おかあさんきたーって思ってたよ」

そうだったの。お母さんの声は聞こえてたの?

「きこえなかったよ」

そっか~。お部屋の中は暖かかった?寒かった?

(オムツ一丁でうつ伏せで寝ていたので寒そうだなと当時思っていた)

「(ちょっと考えて)暖かかったよ」

 


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この状態のときの記憶があったとしたらそれはもう奇跡だと思う。

ちなみに痛々しそうですが、全く異常はなく念の為NICUに入っていました。

 

これはもしかして胎内記憶も聞けるかも?と一歩踏み込んでみた。

 

お兄ちゃんも妹もちっちゃい頃はお母さんのお腹の中にいたんだよ。お母さんのお腹の中にいた時のこと覚えてる?

「うん、覚えてるよ」

どんな感じだった?

「えーとね、……暗かった」

暗かったか~。お母さんの声は聞こえた?

「聞こえなかったよ」

「でもさーぼくも妹もお母さんのお腹からどうやってでてきたの~?」

それはねー。お母さんのお腹をスパって切って、スポって出てきたんだよ。

「えー!!!いたそう」

めちゃくちゃ痛かったよ!!

 

ここまでて話は終わった。

 

子供の記憶力はすばらしく、まだ言葉が喋れないときのことでも後から突然その情景を話し出すことがある。

もしかしたら保育園などで赤ちゃんについての話を聞いて、自分の記憶と混ざっているのかもしれない。

しかしわざわざ、なんの文脈もなく自分から話し出したので、彼自身の強い感情を伴った記憶なんだろうと思う。なによりそう思っていた方がロマンも愛も感じる。

 

 

当時経膣分娩のはずが緊急事態により帝王切開になり、出産後期せずして子供と離れ離れの入院となった。

陣痛からの緊急搬送からの緊急帝王切開 - 空太のそら言

私が退院した翌日子供もGCUを退院したのだが、その間会えたのは一日2回、10分程度のことであった。

帝王切開の術後の痛みが半端なくて最初は車椅子で連れて行ってもらった(不親切なことに病棟が離れていた)。

面会しても、痛々しくコードに繋がれているわが子を見て、どうしてこんな風にしか産んであげられなかったんだろうとか、私子供を育てて行けるんだろうかとか、産後のダウナーな精神とが相まって感情ぐちゃぐちゃで、かわいいとか愛しいとか正直思えていなかった。

看護師さんに面会の時間ですよ、と声を掛けられて、搾り取った数mlの母乳を膝に乗せて会いに行っていた。

後半はお世話しないと、今やり方覚えないと誰もなにも教えて貰えなくなってしまう、と必死で歩いて面会に行っていた。(里帰りはしなかった)

 

息子の話を聞いた今、もっと抱っこして声掛けておけばよかったと寂しく思う。

何にも分かってない、目さえ見えているのかどうかわからない、反射でのみ生きているかよわい生き物だと思っていたけど全然違った。

一人で母を待つ私の息子だった。

 

 

過ぎた時間は取り戻せないので、せめて今たくさん抱きしめよう。

 

これから出産される方、産後子供がNICU

入院している方、どうかたくさん会いに行ってください。話しかけてください。触れてください。ぜんぶ子供は分かってます。